この地にいつ頃から、仏壇作りが始められたのか定かな記録はありません。ただ、室町時代から浄土真宗が北陸から伝播し、飯山を中心とする北信地方に広く根を降ろしていった事実が、仏壇作りの素地としての地域性をもたらしていたことは確かであります。一般に地元では元禄2(1689)年、甲府から寺瀬重高なるものが来て、素地仏壇を手がけたのが始まりだと言われています。漆仏壇が用いられるようになったのは、それからずっと遅れて越後潟町から来た鞘師屋佐七なる者によるというのが真実のようであります。
幕末の頃、稲葉喜作という仏壇彫刻の名手がおり、この稲葉家の祖先である彦次郎清久、彦佐吉弘らが京都に住み、仏門に帰依しており、仁兵衛に至っては飯山に定住しておりました。
このように、飯山仏壇は京都の流れを汲むものであり、喜作の頃からその声価を高め、制作方法も分化してきたものです。
証紙は一般の方にもわかりやすく仏壇に向かって右側の脇壁に貼付してあります。
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